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国保陽平(こくぼ)監督の経歴・学歴・指導方針は?筑波大出身の実力派だった!

野球界で今最も有名な高校生プレイヤーは佐々木朗希投手ですが、その才能を開花させたのは大船渡高校の国保陽平(こくぼ・ようへい)監督でしょう。

国保陽平監督は筑波大学を卒業する程優秀でありながら海外でプレイした経験もある実力派でもあります。

今回は国保陽平監督の顔写真をはじめ、経歴(学歴)や指導方針について調べました。

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国保陽平監督のプロフィール(画像・経歴・学歴)

名前:国保陽平(こくぼ・ようへい)
年齢:32歳(2019年7月27日現在)
生年月日:1987年3月14日
身長:183cm
体重:90kg
ポジション:外野手(投・打:右投・右打)
出身地:岩手県盛岡市
出身高校:岩手県立盛岡第一高校
出身大学:筑波大学 

国保陽平監督は元々岩手県出身で、故郷に戻って教員・指導者になった方です。

県内1の盛岡第一高校から筑波大学へ進学していることから、とても優秀なことがわかります。

まさに文武両道ですね!

筑波大学には体育専門学群があり、体育教員の免許も取得できます。

筑波大学の体育専門学群ではプレイの技術や指導者としての勉強・トレーニング・チームマネジメントなどはもちろんのこと、スポーツ科学についても勉強されています。

まさに国保陽平監督はプロフェッショナルな内容を理論的に学んできたということですね。

●スポーツ科学とは

体育学だけでなく,医学・社会学,心理学,統計学,生化学,栄養学・教育などを総合して,スポーツに関するすべてを研究する学問のことです。
幅広い分野から総合的に考えることによって,コンディションを整え怪我を防いだり、結果につなげることができます。

そんな国保陽平監督だからこそ、佐々木朗希投手のような才能の塊を最大限にのばすことができたのも頷けます。

日本には未だに自分の経験だけを元に指導者になり「指導者としての経験や知識が不足している」監督やコーチもたくさんいますが、国保陽平監督は実力・知識・理論共に揃った貴重な人材(監督)ですね。

なお国保陽平監督は大学卒業後には社会人リーグでプレイし、アメリカの独立リーグでの経験もあります。



国保陽平監督は海外でプレイした経験があった!

国保陽平監督は筑波大学を卒業後、23歳の時(2010年)にはアメリカ独立リーグのティフアナ・シマロンズ(メキシコ-Tijuana Cimarrones)で外野手としてプレイした経験があります。

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Yohei Kokuboの名前がありますね!

一概には言えませんが、日本の野球環境は未だに古い慣習が残っている部分も否めません。

国保陽平監督は日本にとどまらず幅広い世界をみてきたからこそ、その中で指導者として選手ファーストの選択をすることができるのではないでしょうか。



指導方針

国保陽平監督の指導スタイルについて調べてみました。

国保陽平監督は、選手たちに特に高校生のうちから何かを決めつけたり頭ごなしに指導をするような監督ではないようです。

選手たちへ必要な知識を提供し、対話をしながら選手たち自身が納得できる決断を心がけているとのこと。

さらに野球にだけにとどまらずに、「その後の人生にもつながるように」と指導している監督でした。

ベンチでの国保陽平監督と選手たちの仲は良さそうに見えましたし、ハイタッチなどコミュニケーションも欠かせません。

知識・経験ともに持ち合わせながら選手の話を聞く耳ももっている国保陽平監督への選手たちの信頼も厚いことがわかります。

大船渡・佐々木朗希投手を指導する国保陽平監督(32)も「日本を代表して、世界のどの国に出ても一生懸命やっていけるように。野球がすべてではないですけれど、その後の人生につながるようにやっていけたら良い」と導くつもりだ。

自身は盛岡一から筑波大に進学。卒業後は米独立リーグのティフアナ・シマロンズ(メキシコ)と契約し、外野手としてプレーした経験もある。7年前に教師となり、前任の花巻農時代から投手、野手問わず数多くの選手をマウンドに上げるスタイルを貫く。成長痛などを抱えていた佐々木にも、昨年は過度な負荷をかけず、連投なども回避。「私が大学や専門家の方々に教えていただいたことを選手に伝え、選手たちが取捨選択して納得の上で決断するようにやっているつもり」と自主性も重視する。(日刊スポーツ)

佐々木朗希投手の温存判断に賛否両論?

2019年7月24日に甲子園出場をかけた大船渡高校ー花巻東高校の決勝戦が行われました。

ですがその大事な試合で国保陽平監督が佐々木朗希投手を一度も登板させなかったことに対して議論が過熱しています

国保陽平監督は登板させなかった理由を「故障をさせないため」と話していました。

なお佐々木朗希投手は「監督の判断だから仕方ない。大船渡に入ってよかったです」とコメント。

元々、国保陽平監督は「(佐々木の)ワンマンチームになりそうなんですが、誰が出ても、勝つことができるようにしたいんです」と語っていました。

実際に甲子園出場をかける岩手県大会の第3戦は佐々木朗希投手は一度も登板せず、勝利しています。

「甲子園を目指して3年間やってきた最後の最後で出さないなんてどうかしてる!」

という声も聞こえますが、佐々木朗希投手がいてもいなくても勝てるチームにしたいと思っていたのは監督だけではなく、チームメイトたちの思いも一緒でした。

筋肉の張りとかそういう程度かと思うが、特に痛いとかそういうのはなかった。甲子園という素晴らしい大会、舞台が決勝戦を勝ったら待っているのはわかっていたが、この3年間のなかで一番壊れる可能性が高いのかなと思った。私には(起用を)決断できませんでした。

練習試合でも連投の練習はしていたが、大会の疲労というのは、練習試合で想像していたよりも大きいものだった。本人は、私が投げなさいと言えば投げたと思うが、私はその決断はできなかった。(朝日新聞)

知識も経験もある国保陽平監督だからこそ迷いもあったようですが、チームの方針と佐々木朗希投手や他の選手のコンディションの兼ね合い、そして選手たちの納得があって出した決断ということのようです。

誰も悔いはないのではないでしょうか?



国保陽平監督へのネット上の反応



まとめ

以上、大船渡高校の国保陽平監督の経歴・出身校や指導方針についてまとめました。

経歴・知識・経験を持ち合わせている有能な若き指導者であることがわかりましたね。

なお、甲子園予選決勝の起用・采配については賛否両論がありました。

どうしても甲子園という誰もが目指す舞台に行きたいがために、故障を引き起こして将来に響かせてしまう監督がいる中で、国保陽平監督の判断はとても勇気・愛のある判断だったのではないでしょうか?

今年の甲子園への夢は終わってしまいましたが、国保陽平監督は佐々木朗希投手への窓口という役割も果たしているため、秋のドラフトまで気が気ではない日々が続くことでしょう。

佐々木朗希投手はもちろんですが、今後の大船渡高校と国保陽平監督の動向にも注目したいと思います。



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