元AKB48からJKT48、アイドル卒業後もインドネシアで活躍している仲川遥香(なかがわ・はるか)さん。
実は幼少期から10代の頃は両親の離婚によって児童福祉施設で育つなど、壮絶な生い立ちだったことがわかっています。
この記事では仲川遥香さんの生い立ち、両親の離婚から児童福祉施設での経験やアイドルとしての成功、姉の死までまとめました。
仲川遥香が27歳の誕生日に生い立ちについて衝撃の告白
インドネシアで活躍中の仲川遥香さんが2019年2月10日、自身の誕生日にSNSにて衝撃の生い立ちについて告白をしています。
その内容をまとめました。
▼仲川遥香が告白した衝撃の生い立ちまとめ
・両親の離婚によって3歳の頃から両親と暮らしたことがない
・父親に引き取られ、母親の記憶は一切ない
・物心ついた時から祖母と暮らしていた
・児童福祉施設にいたこともある
・小中学生の時は特につらかったし寂しかった
・お弁当も毎回自分で作っていた
・祖母も体調が悪く入退院を繰り返していた
・児童養護施設に預けられたこともある
・養護施設では兄弟がいるみたいで正直楽しかった
・JKTのメンバーやスタッフは家族みたいでうれしかった
・インドネシアの人たちは本当に暖かい
・日本を離れたことで強くなれた
・インドネシアが大好き
・自分のような経験は他の子にはしてほしくない
・いつか結婚したら素敵なお母さんになりたい
仲川遥香さんはインドネシアで活動していくにあたり、
・家族と離れて寂しくないの?
・両親は会いに来ないの?
などと頻繁に聞かれる度に、ごまかしていたといいます。
ただいつまでも隠していることが辛くなったため、思い切って公表することに決めたとのこと。
つらく悲しい過去について、最後は「育ててくれた祖母と産んでくれた両親に感謝している」という言葉で締めくくっています。
辛い過去を打ち明けるには相当な勇気もいったはず。
インドネシアに行ったことで強くなったと言っていましたから、異国のファミリーによって支えられてきたことが伺えますね。
壮絶な過去を乗り越え仲川遥香はアイドルとして成功!
元々仲川遥香さんは2006年の第三期AKB48追加オーディションで合格したことでアイドルデビュー。
AKB48→インドネシアの国民的アイドルグループJKT48に移籍し、2016年末で卒業しています。
AKB48の姉妹グループとしてジャカルタを拠点に活動するインドネシアの国民的アイドルグループ。
コンセプトはAKB48をモチーフにインドネシアの独自の文化に合わせている。
以下に仲川遥香さんの簡単プロフィールをまとめました。
仲川遥香の簡単プロフィール
名前:仲川遥香(なかがわはるか)
愛称:はるごん、ごん、はるさん
誕生部:1992年2月10日
出身地:東京都
血液型:O型
身長:160㎝
所属:電通インドネシア
仲川遥香さんがインドネシアに移籍したきっかけは2012年にインドネシアの向けのポカリスエットのCMに起用されたことでした。
▼仲川遥香さん出演のインドネシア放送のポカリスエットCM
2014年から本格的に拠点をインドネシアに移し、JKT48として活動。
JKT48卒業後もインドネシアに滞在し続け活動を続けています。
「世界で最も影響力のあるツイッターアカウント」女性部門で7位に入賞したほどSNSの発信力が高いことが評価されています。
幼少期に苦労していた中で、オーディションに合格しアイドルデビュー。
からの海を越えて外国で国民的アイドルになるまで上り詰めた仲川遥香さんの努力はとてつもないものだったに違いありません。
仲川遥香の最愛の実の姉の急死・・日本に帰国も考えた
2019年5月、仲川遥香さんは日本に一時帰国をしています。
それはなんと、実の姉が28歳という若さで亡くなったことが理由でした。
仲川遥香さんの姉は2019年5月4日に亡くなっており、突然のことだったようです。
▼仲川遥香の姉の死についてのメッセージ(抜粋)
いつも優しいお姉ちゃん。誰よりも気を使ってくれるお姉ちゃん。
小さいころからいつも傍にいたお姉ちゃんが、もう側にいて一緒に笑ったり喧嘩したりできなくなる。
今この文章を書いているだけでも涙が止まりません。
本当に信じられなくて信じたくなくてどうしていいか自分でもわからなくて。
辛い。だってお姉ちゃんの声聞けないんだよ。
辛いよ。辛すぎるよお姉ちゃん。
まだ28歳のお姉ちゃん。
いなくなるなんて考えてもなかったから本当に本当に悲しいし涙が止まりません。
(中略)
最期にちゃんとお別れを言えたのは事務所のスタッフさん含めいろんな人が飛行機を手配してくれたからです。
そして側で支えてくれたJKT48のメンバーやスタッフさん。
みんなが空港に行くまで励まして支えてくれました。
本当に周りの人に感謝の気持ちでいっぱいです。
今回お姉ちゃんが亡くなって、人生は一度きりでいついなくなるかわからない。
だから後悔しないで生きていかないといけないと思いました。
当たり前に明日があると思っていてはいけないなって。
仲川遥香さんは姉の死によって、一度は日本に本格帰国することも考えたといいます。
しかしそれでは姉は喜ばないと考え、「もう少しジャカルタで頑張ってみる」と思いとどまりました。
「正直今回の件で日本に本帰国しようと思いましたが。
今ではないなと思ってます。
それで帰国してもお姉ちゃんは喜ばないかなって。
だからもうしばらくジャカルタで頑張ってみます。辛い時こそ頑張れば何かきっといいことあるよね?」
と今後もジャカルタで活動を継続することを宣言。(引用:スポーツ報知)
辛い生い立ちに最愛の姉を若くして亡くしてしまった仲川遥香さん。
本当に壮絶な人生ですね。。
その分仕事面では成功を収めているとはいえるかもしれませんが。。
なんにせよ、日本を代表するアイドルとして海外でも活躍していただきたいですね。