イケメン落語家として注目を集める瀧川鯉斗(たきがわ こいと)さん。
現在は落語家として活躍される瀧川鯉斗さんは、実は昔は暴走族・天白スペクター名古屋支部の総長で、地元の高校も一日で退学になったという伝説を持った方でした・・。
一体、暴走族総長時代の瀧川鯉斗さんはどんな感じだったのでしょうか?!
この記事では瀧川鯉斗さんの暴走族総長時代の武勇伝や貴重な特攻服画像、なぜ瀧川鯉斗さんが暴走族の総長になったのか?!
そこからなぜ落語家に転身したのか?について、ご紹介します!
【画像】落語家の瀧川鯉斗、昔は暴走族天白スペクターの総長だった!
すいません、また私が世間を知らず今テレビで初めて知りました、瀧川鯉斗さん、こんなイケメン落語家さんがいらっしゃるんですね… pic.twitter.com/SWvgUsxJXS
— みなまでゆうな☝️ (@yunayuna1128) November 9, 2019
2020年現在36歳でイケメン落語家で人気急上昇中の瀧川鯉斗さん。
高校時代はまさかの暴走族・天白スペクターの総長を務めていたという人物・・・。
早速そんな瀧川鯉斗さんの暴走族総長時代の武勇伝や画像を紹介します!
瀧川鯉斗の暴走族の総長時代の特攻服画像はコレ!
瀧川鯉斗さんの暴走族・総長時代の特攻服画像はコチラです。
▼瀧川鯉斗さんの暴走族総長時代の画像はこちら
大人になった今もイケメンですが、総長時代の瀧川鯉斗さんもイケメンですね(#^^#)
きっとモテモテだっに違いありません・・!
瀧川鯉斗は15歳で暴走族の総長に就任?!
なお、瀧川鯉斗さんは、高校時代15歳の時に地元名古屋で「悪」と言われている高校には受かり入学式には出たそうなのですが・・
すでに先輩たちから目をつけられていまして、「おめえ、生意気だ!」と大人数に囲まれるケンカ……「クローズZERO」みたいになっちゃいまして。こんな奴を入学させるわけにはいかないと、その日のうちに学校から母親に連絡があって、退学です。
引用:デイリー新潮
制服、体操着、教科書も新品のままで退学になってしまったそうですね・・。
なので高校には通わず、現場やサーフボードのリペア(修理)、工場などで働きながらお金を貯め、バイクを買い仲間と集まっていたそうです。
そうしていくうちに暴走族天白スペクター名古屋支部の総長になったとのこと。
瀧川鯉斗の年齢・身長プロフィール
▼瀧川鯉斗の年齢・身長・プロフィール
本名:小口直也(おぐち なおや)
芸名:瀧川鯉斗(たきがわ こいと)
年齢:36歳(2020年現在)
生年月日:1984年1月25日
身長:182cm
体重:71kg
出身:愛知県名古屋市
師匠:瀧川鯉昇(りしょう)
活動期間:2005年~
所属:落語芸術協会・ぐあんばーる
瀧川鯉斗さんは小さいころからスポーツ万能で、小学校の時は夏は野球部、冬はサッカー部に所属するかたわら、学外でのリトルリーグやクラブチームでも活躍していた程だったそうです。
中学時代には、サッカー愛知県代表監督からスカウトされ、キーパーとして県代表チームのトレーニングにも参加するほどの腕前でした。
将来有望な選手として期待されいたのですが、中学校後半からバイクの魅力にとりつかれ、生活態度が乱れてしまったとか・・。(法律違反・・?)
そして学校での評価が著しく下がってしまい、サッカー推薦による志望校への高校進学ができなくなってしまったのだそうです。(そりゃそうだ・・汗)
そんな経緯があって、瀧川鯉斗さんの暴走族・総長への道に繋がっていったのですね・・・^^:
瀧川鯉斗の学歴は?スポーツ万能少年から暴走族総長までの経緯
“イケメンすぎる落語家”瀧川鯉斗 仕事は落語家です「ウソでしょ」 https://t.co/pXafJfLeQX @jtamestaffから#瀧川鯉斗 #イケメン芸人 #落語家 #ラストキス #やじきた #真打 #暴走族 pic.twitter.com/X0tD5ZIELc
— ジェイタメ (@jtamestaff) March 27, 2019
幼少期から運動神経抜群で野球でもサッカーでも何でもできた瀧川鯉斗さん。
そんな瀧川鯉斗さんの学歴と暴走族に入った年などをわかりやすくまとめてみました。
▼瀧川鯉斗の学歴を時系列まとめ
■1984年
東京で生まれる
■1987年
3歳で北海道に引っ越す
■1993年
名古屋市に引っ越す。名古屋市の八事東小学校に転入。
■1997年
名古屋の御幸山中学校(恐らく)に進学。このころからバイクに乗り始め、地元の暴走族と関わるようになる。
■2000年
入学式当日に高校を退学。働きながら2003年ごろまで約3年間暴走族の総長を務める。
中学時代のことについて瀧川鯉斗さんは
中学ではサッカーで愛知県代表に選ばれて、名古屋グランパス・ユースのスターティングメンバーたちと試合にも出ていました。ポジションはキーパーでした。
出典:デイリー新潮
と述べています。
当時はJリーグ名古屋グランパスのユースと変わらない実力があったんですね・・。
そして中学で県の代表は瀧川鯉斗さんしかいなかったので、推薦を当てにしていたそうなのですが、学校の先生に「お前のような授業態度が悪い奴に推薦が出せるわけないだろう。」っと言われ推薦は断念。
受験も失敗、唯一行けた高校も一日で退学になったというわけです・・。( ;∀;)
今となってはもはやネタですね!w
瀧川鯉斗が総長を務めた暴走族「天白スペクター名古屋支部」とは?
瀧川鯉斗 名古屋 #大須演芸場 での真打昇進披露興行。 満員御礼でした! 1日だけの披露公演では心が追いつかないっ!と思う地元民。これからも師匠のご活躍を応援! な!なんと!極rakugo 真夏の独演会にてつい先日、傍島将大が挑戦した「 猫の皿」「 お菊の皿(皿屋敷)」が! 夏寄席の奇跡!? pic.twitter.com/J62UtIaayc
— 『極rakugo』落語プロジェクト@ 名古屋 企画制作・プロジェクトディレクション:なごや孔雀亭 (@Nkujyakutei) August 14, 2019
さて、瀧川鯉斗さんが総長まで上り詰めた暴走族グループは天白スペクター(名古屋支部)といいます。
暴走族の世界は縦社会。
入ったとしても上まで上り詰めるのは「人望」と「腕前」がないといけません。
暴走族では
・時間厳守
・先輩への敬語は絶対
・集合がかかったらすぐ集まれるように地元から離れてはいけない
など体育会系顔負けのルールがあるそうです。(チームによるそうですが。)
中でも瀧川鯉斗さんが総長を務めた暴走族天白スペクターは日本最大の暴走族グループとも言われており、活動は全国規模で今でも行われる(らしいです。)
そこの名古屋支部の総長に選ばれた・・っということは、瀧川鯉斗さんは相当な人望とバイク技術があったということなんでしょうね。
瀧川鯉斗さんが暴走族の総長になれた理由としては
運転テクニックと集会への参加頻度、気合い、フカシ方が上手い……といったところでしょうか。ケンカは自分から吹っかけるようなタイプではありませんでした。名古屋市内のチームは、結構、仲がいいんですよ。三河のチームとは揉めることもありましたが……。
出典:デイリー新潮
と瀧川鯉斗さん本人がコメントしています。
名古屋の尾頭橋(おとうばし)に12時集合が仲間の暗中での黙の了解だったそうで、当時は最低でも200台くらい集まったそうです。
深夜に200台のバイクが集まる場所・・恐ろしや。。
瀧川鯉斗が暴走族の伝説の総長になった武勇伝がヤバい?!
当時、瀧川鯉斗さんが総長を務めていた暴走族・天白スペクター名古屋支部と三河の暴走族は仲が悪かったといいます。
(逆に仲が良い暴走族ってあまり聞いたことないですよね・・汗)
そんな中ついに2つの暴走族グループが喧嘩対決することになったのですが、最終的に総長同士がタイマン対決で勝負をすることになったそう。
もちろん名古屋の代表は瀧川鯉斗さん。
結果的に瀧川鯉斗さんが相手を負かして、伝説の総長になった・・・・といわれており、武勇伝として伝わるとかなんとか・・?!
そんな瀧川鯉斗さんがのちのち落語家で活躍するだなんて、天地もひっくり返る程びっくりしている人は少なくないでしょうねw
瀧川鯉斗が暴走族の総長から落語家になった経緯&理由
そんなネタになりつつある過去があった瀧川鯉斗さんですが、暴走族の総長からナゼ落語家に転身することになったのか、気になるところです。
次項で瀧川鯉斗さんが落語家になった昔の経緯と理由について調べました。
瀧川鯉斗は昔、本当は役者になろうと思って上京した
瀧川鯉斗さんが暴走族の総長を務めていたあるとき、友達の家に溜まっていたら、ふと
「このままじゃダメだ。」
っと思い、自分の好きなものを考えたら「映画」が好きだということで、役者になろうと思ったのだそうです。
決まったら早いもので1週間で「俺、辞める」と仲間に言い、仲間も「総長が言うんでしたら、わかりました。」とすぐに了解を得て後輩を総長に指名したとのこと。
いわゆる「引退暴走」もしたそうで・・。汗
その時のことは
「迷惑をかけてすいませんでした。」
っとインタビューで謝罪しています( ´∀` )w
瀧川鯉斗さんは上京後、新宿のレストランに住み込みで働かせてもらっていたそうなのですが、そこのオーナーが元バンドマンで、瀧川鯉斗さんの夢を応援してくれる人だったそうです。
瀧川鯉斗さんが「役者になりたい」と言うと、「わかった。それなら落語くらいは見ておけ」と。
そのお店では月一で落語会を開いていたので、見せてもらえることになり、それがのちに師匠となる瀧川鯉昇(たきがわ りしょう)さんだったそうです。
▼瀧川鯉斗の師匠・瀧川鯉昇の画像
瀧川鯉斗は落語に一目ぼれ
その時に見たひとりで何役もこなす瀧川鯉昇(りしょう)師匠の姿に感動し、「落語家になりたい!」っと夢は急速に転換!
その日の打ち上げの席で師匠に
「弟子にして下さい!」
と頼んだそうです。
そこから3か月ぐらい寄席に通い、師匠の家に住み込みをさせてもらえるようになったそうです。
瀧川鯉昇師匠は遅刻を大変嫌うそうなのですが暴走族時代に鍛えた縦社会と体育会系で遅刻を一度もしなかったので、
「暴走族はえらいな。時間厳守で。」
とほめられたことがあとか。
ひょんなところで暴走族時代の習慣が功を奏した瀧川鯉斗さん。
確かに伝統芸能の社会は縦社会なので、暴走族時代の規律も無駄ではなかったようですね!
瀧川鯉斗さんは2005年から前座などを務めるようになりましたが、2019年の5月に令和初の「真打」昇進者となりました。
午前中だけですが、披露目パーティーのお手伝いをさせていただきました。凄い人数です!新真打昇進誠におめでとうございます!#瀧川鯉斗#三遊亭藍馬#立川吉幸 pic.twitter.com/JDREYpNkOC
— 笑福亭希光 濃厚自粛中 (@kikousyofukutei) April 13, 2019
暴走族から落語の真打へ・・すさましいストリーですね!
今後はその容姿、経歴を活かして若い人に日本の伝統芸の緒である落語を伝えていってほしいですね。
▼瀧川鯉斗が落語家になった理由(動画)