2020年の都知事選出馬を表明した宇都宮健児(うつのみや けんじ)弁護士。
いったいどのような人なのでしょうか?
今回は、
・宇都宮健児弁護士の学歴&生い立ち
・宇都宮健児弁護士の経歴
・宇都宮健児弁護士の実績
・宇都宮健児弁護士は小説「火車」(宮部みゆき)のモデルになった
についてご紹介します!
宇都宮健児弁護士の学歴&生い立ち
宇都宮健児弁護士ってどんな人?
宇都宮健児弁護士は、愛媛県出身、1946年生まれの73歳。
今回はかなりのご高齢での出馬表明となっています。
弁護士としては「弱者を救うために働く」というモットーのもと、多重債務者や詐欺被害者を救う案件を進んで取り組んできた正義感の強い宇都宮健児弁護士。
その正義感から、日本弁護士連合会会長に就任したり、
過去3回、都知事選挙に立候補をしています。
宇都宮健児弁護士の学歴がすごい!
小学校時代から勉強とスポーツがよくできた宇都宮健児弁護士。
高校は熊本県下一、偏差値75の難関、熊本高等学校に入学。
その後、ストレートで東京大学法学部に合格します。
大学在学中にはなんと司法試験に合格。
とんでもなく優秀な学生だったのです。
大学在学中に司法試験を受けるには、まず司法試験予備試験に合格することが条件です。
そしてこの予備試験の合格率はたった4%。
学業と両立してこの難関の試験に合格し、さらに合格率3割程度の司法試験に合格した宇都宮健児弁護士。
秀才さとともに勤勉さもうかがえるエピソードです。
宇都宮健児弁護士が東大を中退した理由
こんなにも優秀な宇都宮弁護士は、なんと4回生で東大を中退してしまいます。
しかし、その理由は怠惰だったからではありません。
貧しい家庭を支えるため、早く弁護士として働くためだったのです。
大学を中退した宇都宮健児弁護士は弁護士事務所に所属。
居候弁護士(通称イソ弁)として働き始めます。
家族のために東大を中退できてしまう人の良さが際立ちますね。
宇都宮健児弁護士の経歴がすごすぎる!
新米時代は落ちこぼれ 理由は人付き合いが苦手だったから?
弁護士になるまでは誰もが認めるエリートだった宇都宮健児弁護士。
しかし新米弁護士時代は一転して落ちこぼれになってしまいました。
その理由は、人付き合いが苦手だったからです。
人付き合いが苦手だった宇都宮健児弁護士は営業活動ができず、大きな仕事をもらえる機会がありませんでした。
同期の弁護士たちがゴルフコンペに参加し、お偉いさんから仕事をもらっている中、ほそぼそと離婚案件などをこなしていた宇都宮健児弁護士。
独立してイソ弁を抱える同期もいる中、宇都宮健児弁護士はまだイソ弁のままのいわゆる落ちこぼれとなっていたのです。
大きな仕事も取ってこない、一向に独立もしない宇都宮健児弁護士。
ついに所属していた弁護士事務所からもクビになってしまいました。
職を無くした宇都宮健児弁護士は必死に職を探し、その時に出会った案件が人生を大きく動かすことになるのです。
多重債務者問題に取り組み、独立へ
仕事を探していた宇都宮健児弁護士に依頼が来たのが、どの弁護士もやろうとしない仕事、多重債務者の弁護でした。
多重債務者の弁護は労力ばかりかかってお金にならない仕事です。
取り立て業者から脅迫を受けながら戦わなければならないし、弁護費用を支払う多重債務者はお金を持っていないからです。
それでもなんとか仕事を見つけなければいけなかった宇都宮健児弁護士はこれを引き受けます。
「利益が少ないなら多くこなして利益を出せばいい。」
そう考えた宇都宮健児弁護士はこれ以降多くの多重債務者の弁護に取り組みます。
そして27歳の時、ついに自分の弁護士事務所を設立。
誰もやろうとしない仕事に真摯に向き合い、やっと一人前の弁護士になれたのです。
当時の弁護について、宇都宮健児弁護士は次のように語っています。
「青白く、やつれた相談者の顔が、みるみる明るくなっていく。それが私にとってはお金以上の財産だった。」
そしてこの多重債務者の弁護が、宇都宮健児弁護士の「弱者を救う」精神を育て、その後の多くの弁護の原動力となっていきます。
日本弁護士連合会 会長にのぼりつめる
強い正義感のもと、大きな事件の弁護にも取り組んできた宇都宮健児弁護士。
2010年、54歳の時に日本弁護士連合会、会長選挙に当選しました。
会長選挙へは、日弁連史上初の無派閥で立候補。
強力な後ろ盾の無い中、激戦の末見事当選してしまうのです!
当時3万2000人の国内弁護士を束ねるトップにのぼりつめた宇都宮健児弁護士。
国に意見や抗議を申し入れられる日弁連の会長として、人権問題などに尽力しました。
過去3回の都知事選立候補
日弁連会長を務めた後、宇都宮健児弁護士は弁護士政治家を目指して都知事選に立候補。
過去3回立候補し、2度2位につくものの当選には至らず。
2020年は4回目の立候補。共産党の支持を受け当選を狙います。
2012年 当選:猪瀬直樹 434万票
2位:宇都宮健児 97万票
2014年 当選:舛添要一 211万票
2位:宇都宮健児 98万票
2016年 立候補はしたがその後取りやめた
当選:小池百合子 291万票
政界経験者が当選している東京都知事選挙。
弁護士として当選を勝ち取ることができるのでしょうか。
2020年7月5日の開票が待ち遠しいですね。
宇都宮健児弁護士の実績もすごすぎる!
宇都宮健児弁護士の弱者を救う弁護の手法は常識破りのものばかり!
法律に基づきあらゆる手段を使って弱者を弁護していきます。
また、全国ニュースにもなった大きな事件も担当した宇都宮健児弁護士。
その実績と常識破りの手法をまとめました。
■1985年
豊田商事事件の被害者救済に参加。あちこちに流出した詐欺グループの資金を回収し、被害者のだまし取られたお金を取り戻した。詐欺グループとしりつつ不動産を貸したビルオーナーや、豊田商事の従業員が税金を納めた国税庁などを相手取り、法を駆使。史上例のない100億円ものお金を取り戻した。この事件をきっかけに、クーリングオフ制度が誕生。
■1995年
地下鉄サリン事件被害者の救済。健康被害を抱え経済的に困っていた被害者のた教団の資金の回収を進める。危険な教団施設に踏み込み仮差押えをしたり、国や自治体を相手取り、債権を放棄させ、被害者の損害賠償債権を優先させることに成功。足りない分を国に補償させる法律を成立させました。
■2006年
国会に働きかけ、グレーゾーン金利を撤廃する画期的な賃金業法の改正を実現。
サラ金業者が違法な金利を取ることができなくなりました。また、多重債務者は払いすぎた分を取り戻すことができるようになりました。
etc…
被害者を救済するためにあらゆる手段を駆使し、法改正まで実現させてしまう宇都宮健児弁護士。
弱者に対する向き合い方には頭が下がりますね。
宇都宮健児弁護士は小説「火車」(宮部みゆき)のモデルだった!
そんな宇都宮健児弁護士の姿勢が話題となり、小説の登場人物のモデルにもなりました。
その作品は、1992年に発行された宮部みゆきの小説「火車」です。
宇都宮健児弁護士は、「火車」に登場する弁護士、「溝口 悟郎」のモデルになりました。
「溝口 悟郎」は多重債務者問題に奮闘し、弱者に寄り添う弁護士。
まさに宇都宮健児弁護士と同じ志をもった人物です。
作者の宮部みゆきは宇都宮健児弁護士に3時間取材し、その中ででてきた宇都宮健児弁護士の言葉を「溝口 悟郎」のセリフとして採用しました。
まとめ
今回は、宇都宮健児弁護士の学歴や経歴、弱者に寄り添う弁護実績などをご紹介しました。
弱者を救うことに人生を費やしてきた宇都宮健児弁護士。
都知事になった際にはどんな政治をしてくれるのでしょう。
今後の展開に注目です。